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京都地方裁判所 昭和62年(わ)131号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、〓唖者であるところ、昭和五二年一二月一六日京都地方裁判所で常習累犯窃盗罪により懲役二年六月に、昭和五五年六月二四日同裁判所で同罪により懲役三年に、昭和五八年九月二九日同裁判所で同罪により懲役二年二月にそれぞれ処せられ、昭和五四年三月二二日以降において右各刑の執行を受け終わったものであるが、さらに常習として、昭和六二年一月二一日、京都市下京区柳馬場通仏光寺上がる東前町四一九番地土井智方において、土井あい所有の現金約九〇〇〇円並びに財布三個及び印鑑一個(時価合計約七三〇〇円相当)を窃取したものである。

(証拠の標目)(省略)

(主要な争点に対する判断)

第一  窃取事実について

一  被告人は、捜査及び公判を通じ、判示事実中窃取の点を一貫して否認しているので、当裁判所がこの点を認定した理由を補足して説明する。

二  関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。

1 昭和六二年一月二一日の午前一時ころ以降、何者かが、表出入り口の南側の引戸と柱に取り付けられた鎌錠をドライバー様工具を用いて壊し、引戸を開けて判示土井智方へ侵入した上、判示金品を窃取して逃走した。なお、土井方の家人は、同日午前七時ころ右被害に気付いた。

2 同日午前三時一五分過ぎころ、京都市下京区柳馬場通り綾小路下がる(仏光寺上がる)永原町一五一でそば屋を経営する田中光子が、二階寝室にいたとき、下の方から自転車のスタンドを立てるような音がし、続いて一階の裏出入口付近でビール瓶を割るような音が聞こえたので、一階に下りたところ、目の部分だけが出ている状態で茶色か黒色か紺色の帽子をかぶり、前開きの黒色か紺色のジャンパーのようなものを着用した背の低い小太りの男が、一階店舗内カウンター付近に侵入しているのを目撃したが、男は走って逃げ去った。なお、犯人は、一階裏出入口の施錠を壊して侵入したものであり、逃走の際も同所から出て行ったものである。

3 五条署の友松進巡査が自転車で警ら中、同日午前三時四八分ころ、同署司令室から、下京区柳馬場仏光寺上がるの民家で住居侵入の被害があったこと及び年齢、服装等その犯人の特徴について無線連絡を受けたので、付近を検索していたところ、同日午前四時四三分ころ、同区綾小路通り醒ヶ井東入る西綾小路西半町八四番地中北方の玄関前で、自転車をそばに置き、中腰になって玄関の鍵穴付近をのぞいている目出し帽をかぶった被告人を発見した。被告人が同巡査に気付いて自転車に乗って逃げ出したので、同巡査も自転車で追跡し、約六〇〇メートル進んだ路上で追い付き、被告人の自転車の後部荷かごの中をのぞいたところ、そこにあった紙袋の中にドライバー及びかじやの入っているのが見えたことから、軽犯罪法一条三号に当たるものと判断した。ところが、その際、被告人がその場に自転車を放置したままさらに逃げ出したので、同巡査も徒歩で追跡し、約二五〇メートル進んだ路上で、パトカーの乗務員と協力して、同日午前四時四九分ころ、被告人を右軽犯罪法違反容疑により現行犯人として逮捕した。

4 同日午前八時三〇分ころ、同区堺町通り綾小路下がる綾材木町二〇〇番地所在の竹田隆方出入口外の植木鉢内に、本件被害品のうち財布二個が遺留されているのが同人の妻道子によって発見された。

5 被告人は、右逮捕当時、判示被害金品のうちの財布一個及び印鑑一個を所持しており、翌二二日これを任意提出した。

三  右各事実によれば、

1 被告人は、土井方が判示被害に遭ってから長くても約三時間四〇分後、被害場所から近接した前記中北方玄関前にいたところを発見されているが、その際、判示被害金品の一部を所持していたこと

2 土井方における犯行では、侵入の際にドライバー様の工具が使用された形跡があるところ、被告人は、逮捕時、ドライバー及びかじやを所持していたこと

3 被告人逮捕の約一時間三〇分前、逮捕場所及び土井方のいずれからも近接した田中方において、土井方における犯行と手口のよく似た住居侵入事犯が発生しているが、その犯人の服装、とりわけ目出し帽を着用していた点が、逮捕時の被告人の服装と酷似していること

4 友松巡査が被告人を発見した際、被告人は、目出し帽をかぶり、あたかも家の中の様子を窺うような不審な挙動を示しており、かつ、同巡査が近付くや、直ちに逃走していること

が明らかであり、これらを総合すれば、他に特段の事情が認められない限り、被告人が土井方における本件窃盗の犯人であり、かつ、田中方における住居侵入の犯人でもあると推認して差支えないものといわなければならない。

四  ところで、被告人は、逮捕当初から、被告人と同姓同名の三六歳の谷口博が判示土井方における窃盗の犯人であり、被告人は、その犯人が落とした財布や遺留した自転車等を警察に届けようとしていた旨弁解するので、右弁解について検討するに、

1 被告人は、一月二〇日の深夜京都タワーの付近で「三六歳の谷口博」を見掛け、以後翌二一日の午前四時ころまで同人の後を尾行し、その間四回にわたり同人が住居侵入窃盗の犯行に及ぶのを目撃していたというのであるが、そのような長時間同人の後を尾行し、同人が次々と犯行を重ねるのを漫然と見ていたことがそもそも不自然であるし、仮にそれが真実であるとすれば、今度は最後の犯行に至って同人を捕まえようと試みることになった経緯がいかにも唐突との印象を免れず、不自然といわざるを得ないこと

2 逮捕される直前の被告人の様子は前記三の4のとおりであるが、右弁解が真実であるとすれば、発見されたときに目出し帽をかぶったり他人の家屋をのぞくような真似をしていたことは説明し難いところであるし、遺留品を警察官に届けようとしていたのであれば、警察官の姿を見て逃走する必要もないのであって、右各事実は被告人の弁解と矛盾すること

3 そもそも、三六歳の同姓同名の男が真犯人であるという内容自体が不自然であるのみならず、後述のとおり、被告人は、昭和五一年に常習累犯窃盗罪で起訴された際の公判において、ひげの男が真犯人であり、被告人はその男から賍品を買い、又は、その男を取り押さえようとしたが、かえって犯人と誤認され、逮捕された旨の弁解をし、昭和六〇年に住居侵入罪で起訴された際の公判においても、先に刑務所で顔見知りであった男が住居に侵入するのを目撃したので、これを捕えようとして出入口をのぞいていたとき、犯人は逃走し、自分が疑われて捕まったものである旨弁解していることからも明らかなように、被告人は、以前にも本件におけるとよく似た弁解をしていること

等が認められるのであって、結局、被告人の弁解ははなはだ不自然であって、採用することはできない。

五  以上の検討の結果によれば、被告人が判示罪となるべき事実記載の窃盗行為に及んだ犯人であると認定するに十分であると認められる。これに対する被告人の弁解は信用することができず、右認定に合理的な疑いを容れる余地はないというべきである。

第二  責任能力について

一  弁護人は、被告人は、生来的な聾唖者で、年齢にして五、六歳程度の知能しか有しておらず、責任能力に欠けるとして、刑法四〇条前段により本件は無罪であると主張するので、以下この点について検討する。

二  被告人の精神能力に関する鑑定人の見解について

1 鑑定人柴原堯作成の「常習累犯窃盗事件被告人谷口博の精神鑑定書」と題する書面及び証人柴原堯の当公判廷における供述(以下両者を合わせて「柴原鑑定」という。)は、被告人の精神能力につき次のような考察を加えている。

〈1〉 被告人は、その知的水準が五歳以下の幼児段階にとどまる精神薄弱者であるとともに、理非弁別能力、自己防御能力、判断力において格段の低値にある知的水準の聾唖者である。

〈2〉 右のような被告人の現在の精神状態は、被告人の聾唖という高度で先天性の知覚障害と被告人の知的発達の遅滞が同列に存在した結果と推測される。

〈3〉 被告人にも生活経験に基づいて得られた知識が存在するため、知能検査の成績においても項目による「ばらつき」が認められるが、この「ばらつき」は、被告人の場合、自己の経験の中で具象的、具体的、初歩のものに限られ、抽象的な、あるいは想像力などを必要とする仮定的な事項については完全に欠落している。

〈4〉 被告人の犯行の否認の内容は、幼児的で、非合理的で、「常同的」であるが、これは、感情が単純な上に、論理的加工を経ずして直接外界に投射され、言動となる精神薄弱者の特性からして当然である。また、裁判、公判、黙秘権等の理解も、いずれも仮定的、抽象的理解を必要とするものであるから、理解しているとはいえない。

そして、柴原鑑定は、前記鑑定書の「鑑定主文(総論)」中において、「一、本件被告人谷口博の現在の精神状態は未教育の聾唖に加えて明らかに精神薄弱の状態にあり、社会的には幼児段階に止まっている。二、この状態は本件犯行時においても同様に認められ、従って理非弁別能力、判断力において大きく缺けるものである。」とし、かつ、当公判廷において、第二項の「大きく缺ける」の意味につき、「ばらつき」を平均した上、五歳か六歳以下の弁別能力を意味していることを明らかにしている。

2 次に、鑑定人藤本文郎作成の「常習累犯窃盗事件被告人谷口博精神鑑定書」並びに第二五回、第二六回及び第二七回公判調書中の証人藤本文郎の供述部分(以下両者を合わせて「藤本鑑定」という。)は、被告人の精神能力につき、要旨次のとおり述べている。

〈1〉 被告人には、書き言葉、話し言葉によるコミュニケーションの手段はなく、身振りと身振りに近い手話、表情によるという限定された意思伝達能力しか持っておらず、そのため、少しでも抽象的、構造的な意思伝達はできにくい上、自分自身の中で、自分との言葉によるコミュニケーションが弱く、間をもって(思考を駆使して)の対応ができず、自分の行動の制御が不十分であるという点が問題であって、言語的な全体的発達としては、就学期前の幼児、五、六歳レベル以下といえる。

〈2〉 被告人の場合は、先天的聴覚障害を持っていて、聾教育を受けないために、いわば二次的障害として精神薄弱を伴うこととなったケースである。精神的能力の遅れの程度については、IQ(知能テスト指数)でいえば六〇程度で、軽度の精神薄弱者であり、発達年齢としては五、六歳レベルである。知能を動作性と言語性とに分けると、言語性が劣り、二つの言葉の類似点といった抽象的思考はとりわけ劣る。人格面でも幼児的性格が強いが、情緒面での豊かさはある。

〈3〉 黙秘権を始めとする各訴訟行為の内容、起訴状、証拠調べ等を理解する能力には欠ける。

3 前記両鑑定の指摘するところは、いわゆる抽象知あるいは学校智に属する事項に関する被告人の一般的な精神能力を明らかにするものとしてみる限り、被告人の捜査段階及び公判段階における供述内容、供述態度その他当裁判所の取り調べた各証拠から窺われる全事情に照らし、おおむね相当として肯認することができる。

すなわち、被告人は、高度の先天性の聴覚障害を持っていたことに加え、そうした聴覚障害者に対し必要とされる適切な教育をほとんど受けることなく終わっており、かつ、知的発達の遅滞も存在したために、その精神能力は、現時点においても、かなり低い段階にとどまっているとみることができるのであり、その精神能力が本件犯行当時においてもほとんど同様であったであろうこともまた、優に推認されるところである。

4 ところで、刑法四〇条前段により責任無能力として無罪とされるのは、〓唖者のうち、是非の弁別能力又はこれに従って行動する能力を全く欠いている心神喪失者に当たる者のみであって、これに当たらない〓唖者は同条後段によりその刑が減軽されるに過ぎないものと解するのが相当である。

そこで、以下においては、被告人が心神喪失者に当たるか否かにつき考察を加えることとなるが、刑事責任能力の有無及びその程度に関する判断は、本来法律判断であるから、本件においても、被告人の責任能力は、あくまでも、両鑑定の結果得られた専門的知見を基礎としながらも、公判廷で取り調べた全証拠調べの結果を総合した上で、裁判所が独自の立場から論定すべきものである。

また、右判断のためには、被告人の一般的な精神能力や、いわゆる学校智、抽象知についての知識の程度を明らかにすれば足りるというものではなく、これらを前提としながらも、それとは別の、被告人が日常生活上の具体的な体験の積重ねの中で徐々に蓄積し、発展させてきた知識、能力、なかんづく、本件との関係でいえば、本件犯行を中心とする被告人の一連の行動に現れた被告人の知識、能力をも究明することが必要となる。

そこで、次には、両鑑定以外の関係各証拠をも見ながら、被告人の経歴及び日常生活上の能力について考察を加えるとともに、本件犯行の具体的状況や犯行前後の被告人の挙動、さらには本件捜査及び公判の手続における被告人の言動等について検討を進めることとする。

三  本件犯行当時の被告人の精神能力

1 関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。

(一) 被告人の経歴

(1) 被告人は、谷口林蔵を父とし、谷口ひさを母として、昭和一二年一月一日、京都市下京区で出生した。林蔵、ひさ夫妻には、上から順に、和三郎、照治、被告人、節子、富子及び美智子の六人の子供がいたが、そのうち、照治を除く五人までが聴覚障害者であり、被告人もまた、先天性の感音性難聴であった。

(2) 被告人は、学齢期に達した昭和一八年から聾学校へ通ったことがあるが、一年半ほどで中退し、以後は学校教育を受けておらず、聴覚障害者の施設に入ったこともない。

(3) 被告人は、少年時代である昭和三〇年に窃盗罪で検挙され、京都家庭裁判所において保護観察処分に付され、翌三一年には窃盗罪で医療少年院に送致された前歴を有していたが、成年に達した後、昭和三二年三月に京都簡易裁判所で窃盗罪により懲役六月に処せられたのを始めとして、昭和六一年五月までの間に、窃盗、住居侵入、常習累犯窃盗、暴行、傷害及び軽犯罪法違反の前科計一五犯を重ね、拘留に処せられた一犯を除いて、いずれも懲役刑の実刑に処せられ、服役している。なお、最終前科は、昭和六一年五月二六日京都地方裁判所で言い渡された住居侵入罪による懲役一〇月で、同年一二月二五日これを満期出所している。

(二) 被告人の生活能力について

被告人は、聾唖者であり、かつ、精神能力の遅れがあるものの、通常の社会生活自体については支障はない。すなわち、身体的に自立しており、また、食物や衣類を買ったり、バスに乗ったりすることができるなど日常生活での障害はなく、その意味での自立能力があり、このことは、藤本鑑定も認めるところである。若干付言すると、

(1) 捜査段階で本件の捜査を担当した茶圓喜也の観察によれば、被告人は、西本願寺第一職員住宅の粗大ごみ置場に被告人名義の預金通帳や、盗難の被害届が出されていた預金通帳等を隠匿していることを覚えていただけでなく、隠した物がごみとして回収されてしまうおそれがあることまで知っており、留置場内では、しばしばパンやうどん類の補食をとり、ほとんど毎日ひげそりや食後の歯磨きを欠かさず、引当たり捜査のため外出するときは身だしなみを整えるなどし、統一地方選挙の選挙期間中に、被選挙人のポスターを指差して、当選者に嘆願書か何かを書いて留置場から出ることができるように願い出る積もりであると解される動作をして見せ、また、取調べの際、紙に書いた「なまえ」という文字を示されて、平仮名で自分の名前を書いている(茶圓証言)。

(2) 被告人は、昭和六二年一月中ころ、質流れ品を販売している小杉彦之経営の店を一人で訪れ、中古品のカラーテレビを購入し、その際、同人が、値引きをする趣旨で、一〇〇〇〇円の値札に斜線を引いて八〇〇〇円と書いたところ、喜んだ様子を見せ、また、同人からアンテナを持っているかどうかを問われて持っていない旨の意思表示をし、同人から室内アンテナを併せて付けてもらっている(小杉証言)。

(3) 宇治市社会福祉事務所の主事で、本件の捜査及び公判を通じ手話通訳を担当した戸沢原章の観察によれば、被告人は、現金の種類の区別をしており、一万円札や千円札の現物を見れば、千円札が何枚あれば一万円になるかということを理解しており、当時の住所のうち、「宇治市大久保」までの部分を何も見ることなく漢字で書き、その続きをメモを見ながら書き上げ、戸沢が日にちを紙に書いた上で手話で宇治市役所に来るよう求めたところ、そのとおりに来訪し、また、年金の年間支給額につき、戸沢が、一年の各月を紙に書き出した上、各月の支給額と一二か月の合計額とを書いたらこれを理解した(戸沢証言)。なお、戸沢は、被告人の健常者に対する伝達能力は、通常の聾唖者以上に優れているところがある旨述べている。

(三) 本件犯行及びその前後の状況について

(1) 被告人は、被害者土井宅一階に玄関の施錠を壊して侵入し、土井あいの寝室で本件犯行に及んだ際、一階事務室内の机の引出し、机の上のバッグ、居間の食器棚の引出し等金品の置かれている可能性の高い箇所を物色している。

(2) 窃取に係る金品のうち、財布二個が付近の竹田隆方出入口外の植木鉢内から発見、拾得されているが、そのうち一個は、被害者が入浴券を入れていたものであり、他の一個は、被害者が公衆電話を架けるなどするため、一〇円硬貨ばかりで一〇〇円くらいを入れていたものであり、いずれも財産的価値は低いと認められるものであった。一方、約九〇〇〇円の在中していた財布については、逮捕の際、被告人において所持していた。

(3) 被告人は、本件犯行当日の午前三時一五分ころ、下京区柳馬場綾小路下がる永原町一五一の田中方へ施錠を壊して侵入したが、その際、被告人は、目出し帽をかぶって家屋内へ侵入したところを田中光子に目撃されて自転車で逃走している。

(4) 被告人は、五条署からの指令を受けて住居侵入事件の被疑者を検索中であった同署司法巡査友松進によって発見されたが、その際、被告人は、スキー帽のような目出し帽をかぶっており、中腰になって付近の家をのぞきこんでいた。また、被告人は、自転車後部に設置された緑色のかごの中に入れられた手提げ用紙袋の中にドライバー七本及びかじや一本を入れていた。

(四) 捜査段階における被告人の言動について

(1) 被告人は、逮捕直後の弁解録取において、窃盗の被疑事実を否認した上、別の男が金を持っていたとし、自分はその男が落としていった財布を拾って警察に届けようとしただけである旨訴えて、逮捕当初から、被疑事実に対する主張を捜査官に対し明確に表明している。なお、この弁解は、その後、捜査段階、公判段階を通じてほぼ一貫して主張されることになる。

(2) 逮捕の二日後である昭和六二年一月二三日に、逮捕時における被告人の服装の写真撮影が行われているが、その際、被告人は、その服装をして写真撮影をされると自分が犯人になってしまうとして非常に嫌がり、説得されて、最終的には写真撮影に応じてはいるものの、目出し帽をかぶった状態を写真にとられることだけは最後まで拒否している(茶圓証言)。

(3) 捜査段階での取調べにおける被告人には、捜査官からの質問に対して供述を渋った形跡はほとんど認められず、むしろ、捜査官に対しても自分の述べたいことばかりを際限なく供述し続けるという特有の供述態度が当時からしばしば見られたように窺われるが(根岸証言、戸沢証言)、その場合でも、見当はずれの応答をするというわけではなく、「相手に言われたことで、自分が思ったことをたくさん話すというような形の会話」(戸沢証言第一八回公判・三四丁表)になっていたというのであり、確かに、その結果作成されている被告人の捜査官に対する供述調書、とりわけ、問答体で録取されたそれを見る限り、被告人は、捜査官の質問に対し、おおむね的確に応答しつつ、自己の主張を一貫させているということができる。

(五) 公判廷における被告人の言動、供述内容について

(1) 被告人に対しては、第六回、第七回及び第八回公判において被告人質問が実施されているが、被告人は、ごく一部を除き、質問に対する供述を渋ることもなく、積極的に応答しており、また、一部に被告人の行う手話に理解し難い部分があったり、手話通訳を介して行う被告人への質問が被告人に十分理解されていないと思われる箇所等が認められることを除けば、被告人は、総じて的確に応答している。

(2) また、被告人は、質問の内容が供述したくない事項に及んだ場合には、供述を拒否したり(被告人供述第七回公判・三丁表、第八回公判・一三丁表)、「知らない」等と述べて供述を回避したりする(被告人供述第七回公判・六丁表)などの態度を示している。

(3) さらに、被告人は、捜査段階に作成された捜査官に対する供述調書中の被告人の署名指印部分を法廷で示されて、「指印を押したことはない。」、「検察庁が隠れて指印を押した。」、「警官が指を持って押さそうとするので、その指を払いのけて自分で押した。」等と供述を転々とさせながら被告人が指印した事実それ自体を否認し、又は任意に押したことを否定するがごとき態度に出たことがある(被告人供述第七回・八丁裏。なお、その際、被告人は、併せて、自分が犯人ではない旨を執拗に訴えている。)。また、被告人は、昭和六〇年に住居侵入罪で起訴された際の公判においても、警察での調書に被告人が思っているとおりのことが記載されているか否かについて質問されて、警察が勝手に書いたもので、自分は知らない旨同種の供述をしている(検第59号)。

(六) 被告人の公訴事実に対する弁解について

(1) 被告人の本訴公訴事実に対する弁解の骨子は、本件の当日、マフラーで目だけを出して顔を覆っていた三六歳の谷口博が、住居に次々に押し入った上、自転車で逃げていくのを目撃し、それを追い掛け、捕えようとしてもみ合いになったが、その男は結局逃げ、その際物を落としていったのでそれを拾ったところ、警官に捕まえられそうになり、逃げたものの、警官が追い掛けてきて被告人を逮捕したというもので、被告人が、本件捜査、公判両段階を通じ、右弁解をほぼ一貫して主張していることはこれまでも説示したとおりである。

(2) また、被告人は、昭和五一年に常習累犯窃盗罪で起訴された際の公判において、ひげの男が真犯人であり、被告人はその男から賍品を買い、又は、その男を取り押さえようとしたが、かえって犯人と誤認され、逮捕された旨の弁解をし、昭和六〇年に住居侵入罪で起訴された際の公判においても、先に刑務所で顔見知りであった額に何かが付いている男が住居に侵入するのを目撃したので、これを捕えようとして出入口をのぞいていたとき、犯人は逃走し、自分が疑われて捕まったものである旨主張しているが、いずれの裁判においても、被告人の弁解は信用できないと判断され、有罪判決が言い渡されている。

(七) 被告人の刑罰に対する理解について

(1) 被告人は、留置場内では明るく振る舞っており、また、捜査官に対して警戒感を抱いていたという形跡もない(茶圓証言)。

(2) しかしながら、茶圓と被告人とが選挙について雑談をした際、被告人が、当選者に対して嘆願書等を出して、留置場から出ることを願い出る積もりであると解される動作をしたことがある(茶圓証言)。

(3) また、捜査段階においても、捜査官による弁解録取において、「裁判が嫌です。」、「釈放してください。」と述べ、検察官に対する取調べの際にも、「釈放してください。」と訴えるなどしている(検第42号、第43号)。

2 右1に認定した諸事実は、本件犯行当時における被告人の精神能力との関係では、次のように理解することができる。

(一) 犯行前後の状況に徴すると、被告人は、侵入用具を自転車の荷台に積み込み、変装用の目出し帽をかぶるなどの準備を整えた上、深夜、他人の住居に次々に侵入しており、また、本件の被害者宅では金品の置かれている可能性の高い場所を選んで物色し、窃取に成功するや、不用な物を投棄するなどの行為に及び、他の家で同様の犯行に及ぼうとして、家人や警察官に発見されたときには、直ちに自転車で逃走するなどしているところ、これら一連の行動は、他人の住居に侵入し、金品を窃取するという犯行との関係で合目的的であって、その限りで何ら不自然な点が認められないばかりか、この種事犯の常習者特有の手際の良さや計画性さえ窺われるのであって、これらの点からは、被告人が、状況に応じて合理的な判断を行い、それに従って的確に行動していることを窺わせるに足りるものということができる。

(二) 捜査段階、公判段階の被告人の供述内容、供述態度等に徴すれば、被告人は、捜査官からの取調べや公判廷での審理を嫌がることなく、むしろこうした機会を積極的に利用して、自己の主張を訴えようとするという態度を一貫させているが、他方、自己にとって不利益となると判断した事項については、ときに警戒感すらあらわにしつつ、事実関係を否認するなどの方法でこれに対処しようとしていることが認められる。もとより、被告人に対しては、捜査や訴訟の手続の正確な意味について、一般人と同程度の理解を求めるべくもないことは明らかであるし、被告人の一連の言動を見ても、誠に稚拙の観は免れないのであるが、右に説示した事実に照らし、かつ、被告人が、多数の前科において、これまで数多くの刑事訴訟手続を体験してきていることにも併せ徴すれば、被告人が、一連の刑事手続の中で、自己の置かれた立場をある程度理解し、限られた知識、体験の中ではあるが、通常の被疑者、被告人と同様に、自己を防御しようと精一杯の努力をしていることは否定し難いところであって、その意味で、被告人の一連の言動は、それなりに一貫した合理的な態度であるといい得るところである。

(三) 被告人の公訴事実に対する弁解につき、柴原鑑定は、既に述べたとおり、幼児的で、非合理的で、「常同的」であるとした上、普通の知能の人であれば過去の体験を基にして自己の行ったことについての言い訳の加工がもっとうまくなるはずであるのに、被告人は、ここ十数年の間同じパターンの弁解を繰り返しており、ここ十数年間は知的水準の発達が止まっていると考えざるを得ないとして、被告人の知的水準が五、六歳程度であるとする結論の論拠の一つとしている。確かに、被告人の行う弁解の水準が一〇年以上もの間ほとんど向上した形跡がないことは指摘のとおりであるが、他方、被告人は、各事件における弁解の中で、その主張する「真犯人」につき、「ひげの男」、「額に何かが付いている男」、「三六歳の谷口博」などと描写を変えているのみならず、昭和六二年一月二九日付け司法警察員に対する供述調書において、前回の事件に触れ、「額に特徴のある男」が犯人である旨供述しているのであり、これからすると、被告人は、前回の裁判において自己が行っていた弁解を記憶し、それとは矛盾を生じないように配慮しながら今回における弁解を作り上げていると認められるのであって、被告人の弁解は、柴原鑑定が断じているほど単純なものではないという疑いもまた強く持たれるのである。加えて、引当たり捜査等において右弁解を述べるに際し、被告人は、被告人ともう一人の谷口及び警官の行動、やり取り等を順に追って細かく、具体的に供述し、しかも、かなり豊かな表現力をもって内容を描写していることが窺われること(茶圓証言)にも徴すれば、被告人の弁解から推測される被告人の知的水準は、柴原鑑定の結論する五、六歳の水準を相当程度上回っているとみる余地があるように思われる。

(四) また、柴原鑑定は、被告人が長期間の身柄拘束を受けていながら、拘禁反応を起こしていないことを指摘した上、被告人がそうした反応を起こすほどの高度な感情を持っていないと判断しているが、少なくとも、被告人が、身柄を拘束されていることを苦痛に感じ、これから脱したいという希望を強く持っていることは前記1の(七)の各事実からも明らかであって、むしろ、これまでに詳細に説示してきた被告人の一連の言動は、身柄拘束という苦痛を取り除くという目的との関係で見る限り、首尾一貫していると考えられるのである。

3 以上を総合すれば、被告人は、本件犯行を実行するに当たっては、金品奪取と現場からの逃走という目的へ向け、また、逮捕後の捜査、公判の各段階においては、できる限り早期に身柄の拘束を脱するという目的へ向け、各場面における具体的状況に応じた判断を行いながら、それなりに合理的、合目的的な行動を採っていると評することができる。

4 ところで、柴原鑑定も認めるように、精神薄弱者であっても、社会生活上の体験を積み重ねていくことによって、特定の事項に関し、その知的能力を高めていく可能性がある。被告人は、住居侵入、軽犯罪法違反を含む本件の同種前科一五犯を重ね、そのすべてにおいて実刑判決を言い渡されてきているわけであるが、右に検討したところによれば、被告人は、この種事犯を実行するに当たって具体的にどのような手順でこれを行うべきか、その際、いかなる注意を払う必要があるか、それによっていかなる利益がもたらされるかといった点につき具体的な経験を通じて繰り返し学習し、その結果を自己の経験として取り込んできたと思われるし、また、そうした行為が発覚すれば、いかなる不利益がもたらされ得るかについても、これをある程度理解し、苦痛と感じて、捜査、公判の一連の手続の中でいかにして自己の身を守るかについての知識を、経験を通じ、徐々に蓄積させ、発展させてきたと認められるのである。これは、正しく柴原鑑定の述べる「ばらつき」にほかならないのであって、被告人の学校智、抽象知についての知識や、一般的な精神能力が、藤本鑑定及び柴原鑑定の指摘するとおり五、六歳程度にとどまっているとしても、本件犯行を犯すに当たって被告人が有していた知識や精神能力は、これを少なからず超えていることが明らかであると判断される。そこで、以上を前提にした上で、被告人の刑事責任能力につき検討を加えることとする。

四  被告人の刑事責任能力

1 まず、本件において、被告人の責任を問うために必要な刑事責任能力の程度について若干付言する。

一般に、刑事責任を問うために必要な能力の程度は、問題となっている犯罪の内容や罪質によって異なってくると考えられる。本件において公訴を提起されているのは常習累犯窃盗の事実であるが、窃盗は、いうまでもなく、殺人等と並んで、古くから、どこの社会にも広く存在する最も基本的な犯罪類型であるところ、このような基本的な犯罪であれば、精神能力の低い者においても、そうした犯罪を犯すことについての是非を判断し、それに従って行動することがより容易であると考えられる。したがって、少なくとも当該事案に関する限り、被告人の刑事責任能力を判断する前提として被告人に要求される精神能力は、かなり低いもので足りるというべきである。

2 そこで、進んで被告人の本件行為に対する是非弁別能力の有無について判断するに、関係各証拠によれば、次の各事実が認められる。

(一) 被告人は、真犯人である「三六歳の谷口博」につき、何回も盗みをしていることを繰り返し訴えた上、見つけたら「殴り倒してやりたい」とか「殺してやりたいぐらい」と強い調子で供述したり(検第39号、第40号、第51号)、「悪い男」である旨述べたりして(被告人供述第八回公判・一九丁裏)、窃盗行為が「悪い」行為であるという認識を明らかにしている。

(二) 被告人は、初めて犯した窃盗事件の直後、兄から叱責された記憶を述べているが、これもまた、窃盗を犯せば叱責されることになるという認識を被告人が有していたことを示すものである。

(三) 被告人は、昭和六〇年に住居侵入罪で起訴された際の公判において、被告人が盗みに入ったと新聞で報道されたことにつき、「恥かしい気になった。」と述べている(検第62号)。

(四) 被告人は、同じ公判において、仕事を一生懸命する旨述べるとともに、「盗みはしない。」旨答えている。

(五) 捜査段階から被告人の通訳人を務めている戸沢原章も、被告人は、これまでの生活経験の中で人の物を盗むことが悪いことであると認識していると思う旨推測している(戸沢証言)。

右認定の各事実に前記三で考察した被告人の精神能力を総合して判断すると、本件犯行当時、被告人は、本件窃盗行為を犯すに当たり、その是非を弁別する能力について、著しく低い状態ではあったけれども、これを全く欠いてはいなかったと認めるに十分であるといわなければならない。

3 次に、被告人が、是非を弁別した結果、これに従って行動する能力を有していたか否かについて判断するに、既に説示したとおり、被告人は、本件犯行当時、他人の住居へ侵入し金品を窃取するという目的との関係で合理的、合目的的に行動しており、その他、関係各証拠から認められる被告人の言動に照らせば、本件窃盗行為の当時、右能力についても、著しく低い状態ではあったが、これを全く欠いた状態ではなかったと認めることができる。

4 そこで、結局のところ、被告人は、本件犯行当時心神喪失の状態になかったことが明らかであるから、被告人を無罪であるとする弁護人の前記主張はこれを採用しないこととした次第である。

第三  公訴棄却の主張について

なお、弁護人は、被告人は、手続の主体として、手続の意味を理解し、自己を防御する能力を有しない結果、逮捕の際における被疑事実の告知や取調べにおける黙秘権の告知等被疑者及び被告人として憲法上保障された権利を無視されたまま起訴されたものであるから、刑事訴訟法三三八条四号の適用又は準用により公訴を棄却すべきである旨主張しているので、この点に関し付言する。

関係各証拠によれば、被告人が軽犯罪法違反により現行犯人として逮捕されたときなど、通訳人の手当てが間に合わない等の事情のある一部の場合を除き、取調べや引当たり捜査等の重要な手続は、ほとんどの場合手話通訳人の立会いを得て行われており、したがってまた、黙秘権の告知を始めとする刑事手続上の権利の告知や調書の読み聞かせなども手話通訳人を介して行われていたことが明らかである。さらに、捜査官は、取調べにおいては、手話通訳人を立ち会わせるのみならず、被告人に対し写真や図を示したり、被告人に図を書かせるなどして、意思の疎通を図る努力を行っていたこともまた認められる。もとより、こうした努力にもかかわらず、被告人が、黙秘権の意味や、捜査手続の意味、内容、その中における自己の立場等をどの程度理解していたかにつき少なからず疑問があることは弁護人指摘のとおりであるが、少なくとも、捜査官においては、被告人が聾唖者であること等の事情を念頭に置きつつ、被告人との意思の疎通を図るための種々の努力を行うことにより、黙秘権の告知等を含めた捜査上の諸手続が適正に行われるようできる限りの配慮をしていたことが窺われる。

そして、その結果作成され、裁判所に提出されている被告人の捜査官に対する供述調書や被告人の指示説明に基づいて作成された実況見分調書等に徴すれば、その内容は、その後の被告人の公判段階における主張に沿ったものとなっており、被告人にとって特段不利益となるような事実を含んではいないと認められるのであって、その他の関係各証拠を精査しても、捜査段階においてことさらに被告人が意に添わない供述を余儀なくされた等の形跡が認められないことはもとより、捜査官が、被告人の供述を手がかりに、被告人に不利益な方向で捜査を行ったといったような事情も窺われない。本件においては、被告人が聾唖者であるために、捜査機関及び被告人の双方にとって、通常の場合にみられない困難があったであろうことは想像に難くないのであるが、少なくとも、提出された証拠をみる限り、そのような事情のために被告人に実質上の不利益が生じたという形跡は認められないのである。

以上によれば、被告人が憲法上あるいは法律上保障された権利を無視されたまま起訴されたといえないことは明らかであるというべきである。また、弁護人は、被告人が起訴能力を欠いていることをも根拠として公訴棄却を主張するようであるが、被告人の刑事責任能力について検討したところからも明らかなように、被告人は、捜査段階及び公判段階のいずれにおいても訴訟能力に欠けるところはないと認められる。

よって、弁護人の公訴棄却の主張は、いずれもその前提となる事実を欠いているといわざるを得ないから、その余について判断するまでもなく、採用することができない。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五五年六月二四日京都地方裁判所で常習累犯窃盗罪により懲役三年に処せられ、昭和五八年四月二八日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した同罪により昭和五八年九月二九日同裁判所で懲役二年二月に処せられ、昭和六〇年一一月六日右刑の執行を受け終わり、(3)その後犯した住居侵入罪により昭和六一年五月二六日同裁判所で懲役一〇月に処せられ、同年一二月二五日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は検察事務官作成の前科調書及び判決書謄本二通(昭和五八年九月二九日付け、昭和六一年五月二六日付け)によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は盗犯等の防止及び処分に関する法律三条、二条前段(刑法二三五条)に該当するところ、前記の各前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条により同法一四条の制限に従って四犯の加重をし、被告人は〓唖者であるから、同法四〇条後段、六八条三号により法律上の減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が常習として現金約九〇〇〇円及び財布等四点を窃取したという常習累犯窃盗の事案であるところ、被告人は、変装用具を携え、侵入用具を整えて、深夜、被害者らの居住する家屋に赴き、侵入用具で施錠を壊して住居に侵入した上、家屋内の各所を物色し、さらには大胆にも被害者の就寝していた部屋にまで入りこんで犯行に及んでいるのであって、その態様は、夜間における他人の住居への侵入行為を伴うという意味でこの種事犯の中でもとりわけ悪質な部類に属する上、被告人は、本件と時間的に極めて近接していると認められる同日午前三時一五分過ぎころ、犯行現場に近い別の家屋に侵入しているところを目撃されて逃走し、その一時間半後には、さらに別の家屋内をのぞくような挙動を示しているところを警察官に現認されているのであって、被告人が、本件犯行と前後して、付近の民家をねらって同種の住居侵入、窃盗事犯を繰り返し企てていたと認められることなどに徴すると、犯情は悪質といわざるを得ない。右に加え、被告人は、窃盗、住居侵入等本件と同種の前科一五犯を重ね、服役を繰り返していた者であって、本件も、前刑の執行を終えて出所した後わずか一か月足らずで犯した事犯であることに照らすと、被告人のこの種事犯に対する常習性には誠に根深いものがあるといわざるを得ないのであり、以上の事情を総合すれば、被告人の刑責は決して軽いものということはできない。

しかしながら、他方、幸いにして本件の被害額は比較的軽微といい得る上、被告人は、先に刑事責任能力につき検討したところからも明らかなように、本件犯行当時、行為の是非を弁別する能力や、これに従って行動する能力が著しく障害され、心神耗弱の状態にあったと認められること、被告人は先天的な強度の聴覚障害をもって出生し、家庭の貧困や戦争等の事情のため適切な教育を受ける機会も与えられることなく成人して今日に至っているのであって、被告人が現在のような状態に置かれているのはこのような恵まれない境遇が大きくあずかっていると認められること、昭和六二年一月二一日に軽犯罪法違反で逮捕されて以来身柄拘束の期間が約四年九か月の長きにわたっていること等被告人に対し酌むべき事情も多々認められるので、これらを併せ勘案し、主文の刑期を量定した上、未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入することとした。

よって、主文のとおり判決する。

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